憲法:

2013年5月10日(金)

シリーズ 今、憲法が危ない①

5月3日、日本国憲法は、施行から66周年を迎えました。世界各地で紛争が絶えない今日、「戦争放棄」を掲げた日本国憲法を、歴史的にも意義ある者として評価する声は、アジアをはじめ世界に広がっています。しかし今、憲法はいまだかつてない危機を迎えています。なぜならは、昨年末の総選挙で、自民党が圧勝したうえ、「維新の会」など「改憲」を掲げる勢力が、衆議院の三分の二を大きく超えているからです。この夏に予定されている参議院議員選挙の結果いかんでは、「改憲」が政治日程に浮上してくることは必至の情勢となってしまいます。それは、私たちの原点である「教え子を再び戦場に送るな」が、崩されていく道でもあります。 今こそ日本国憲法を学び、その価値を一人でも多くの仲間、同僚、保護者や地域の人々に伝えていかなくてはなりません。日教組は、去る4月3日から月1回のペースで行われる平和フォーラム主催の憲法問題連続学習会への参加を呼び掛けるとともに、職場討議資料を作成し、職場から憲法を守る運動を提起しています。東京教組では、山内敏弘さんを講師に迎え6月6日に独自の憲法学習会を予定しています。 こうした状況を踏まえ、憲法の危機について考えてみたいと思います。

その1「立憲主義」の危機

憲法とは何か?という問いに対する答としてして、小学校の教科書などには「最高法規」と書かれていることが多いです。日本国憲法では、前文に「・・・ここに主権が国民に損することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がそれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基づくものである。われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」とあります。 また、第10章に「最高法規」としての規定が97条から99条まであり、98条第1項には、「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」と、定めています。 しかし、最も重要なのは近代憲法が、「時の権力者による、権力(主権)の乱用を防止する」ことを目的として作られているという点にあります。つまり憲法は、国民ではなく「権力者を縛る法規」として作られているということです。もちろん日本国憲法も、この立憲主義に基づいて作られています。99条に、「天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。」と定めています。国民に対して、憲法を守れとは書いていません。憲法を守る義務があるのは、権力を行使する側の人間であるということが明確に書かれているのです。 このような規定があるにもかかわらず、内閣総理大臣自らが「改憲」を唱え、それに同調する国会議員が、多数を占めているところに、現在の憲法の危機の根源があると言えます。

その2 96条の危機

権力の乱用を防止するという立憲主義の理念を、もう少し掘り下げて考えてみると、現在安倍首相が参議院議員選挙の争点にしようと伝えられている「96条」が、密接につながっていることが分かります。96条は、「この憲法の改正は、各議院の総議員員の三分の二以上の賛成で、国会がこれを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。(第2項略)」と定めています。一般の法律改正よりも、ハードルが高く設定されてます。こうした通常の法律改正手続きよりも困難なて手続きを定めることによって、簡単に改正を許さないものとしているのです。教科書では、こうした憲法を「硬性憲法」と説明しています。「時の権力者による、権力(主権)の乱用を防止する」という「立憲主義」の理念をこの条項が担保しているということになります。96条の規定は「民主主義の暴走を防ぐ」という役割があることになります。この96条を変えて、憲法改正をしやすくしてしまうことは、立憲主義の根幹を揺るがすことにつながってしまうことになります。

その3 普遍的価値としての平和と人権の危機

ここまで、「時の権力者による権力(主権)の乱用を防止する」という「立憲主義」の観点から「憲法の危機」を考えてきました。ここでは、立憲主義が権力の乱用から何を守ろうとしているのかを考えてみたいと思います。 これを考えるのは簡単です。歴史を振り返って、権力が暴走したときに何が起きたか?を見ればはっきりします。それが平和の喪失であり、基本的人権の侵害であるのは、明らかでしょう。5月3日の憲法記念日集会の中で、藤本泰成さん(平和フォーラム事務局長)は「基本的人権が尊重される中では、戦争は起こせない。戦争の中では、基本的人権は尊重されない。」と述べられました。戦前の日本では、「戦争反対」はもとより、戦争に対する疑念お持つことさえ許されない社会でした。また、ドイツでは当時としては民主的なワイマール憲法の下、選挙で政権を獲得したナチスが暴走し、第二次世界大戦とホロコーストを引き起こしました。 こうした歴史の反省に立って作られた日本国憲法が「基本的人権の尊重」と「平和主義」を原則としていることは、小学校の教科書にも書かれていますが、さらにこの二つを「普遍的なもの」と位置づけていることが重要です。  例えば、前文の後半には「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる」とあります。また、第11条では、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保証する基本的人権は、犯すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。」と定められ、基本的人権の尊重が普遍的なものとして位置づけられているのです。 弁護士で、憲法に関する講演を精力的に行なっており、東京教組秋の教研集会の全体会講師に決定した伊藤真さんは、著書「日本国憲法」のなかで、次のように述べられています。「国民の多数の声を反映させて多数者が望んだ政治を行うことは、民主主義の観点からは当然のことのように思えます。しかし人間の判断は常に正しいわけではありません。時に間違いを犯します。たとえ国民の多数意思ではあっても、情報操作に惑わされたり、ムードや雰囲気に流されてしまうような例は、どの社会でもよくあることです。(中略)そこで立憲主義は、その時代の多数の国民(主権者)の意思に従うことは大切だけれども、多数意見でも奪ってはいけない価値、つまり法律によっても奪えない価値を、あらかじめ憲法に規定しておくことにしたのです。それが『人権』や『平和』であり、それらは、民意を受けた首長や議員であっても、また国民投票のような『ある時点の』国民自らの選択によっても、犯すことのできない価値だといえます。 現在「改憲」を唱える人たちは、「96条を改正して、憲法を変えやすくしよう」と主張していますが、では、現在の憲法のどこを変えようとしているのでしょうか? 東京教組では、6月6日に「自民党憲法改正案の問題点」を中心に学習会を予定しています。 次回からは、現在明らかになっている自民党の「日本国憲法改正草案」について考えてみたいと思います。

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