憲法:

2013年6月25日(火)

シリーズ 今、憲法が危ない!③ ~「自民党の憲法草案」の問題点、その2~

 ~「自民党の憲法草案」の問題点、その2~

今回は日本国憲法の三大原理のひとつである、「基本的人権の尊重」について、自民党の憲法草案ではどうなっているのかを見ていきましょう。
第12条 ・・・・自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない  
第13条 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については公益及び公の秩序に反しない限り最大限に尊重されなければならない
この条文のアンダーラインの部分が自民党の憲法草案の特徴を最もよくあらわしています。この条文をわかりやすくいうと、「自由や権利にはいつも責任がつきまとうんだ。自分の責任ということを常に考えなさい。まあ、国の言うことをちゃんと聞くなら、権利は尊重してあげるよ。但し最大限だよ。限りはあるからね」
ここで思い出されるのが大日本帝国憲法です。いわゆるこの明治憲法でも、法律の許す限りで言論や出版、集会、結社、信仰などの自由が認められてはいましたが、それは天皇の恩恵によってもたらされるもの、社会秩序を乱さないのなら、ということです。自民党の説明では、公の秩序とは社会秩序のことであると、していますが、これでは、社会の秩序が国民の人権に優先されるということになり、これでは、政府の側による、人権の制限にもつながりかねません。

第20条 ・・・・特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼または習俗的行為の範囲を超えないものについてはこの限りでない
アンダーラインの部分に注目しましょう。この条文はいわゆる「信教の自由」についてうたっていますが、最後にちゃっかり但し書きがついています。この「社会的儀礼または習俗的行為の範囲を超えないもの」これは、自分達が時々参拝し、アジア各国から批判を受ける「靖国神社参拝」の合憲化です。
「みなさんの気持ちはわかりますが、すいません憲法に書いてあるんで・・・・」 ということでしょうか。

第21条  ・・:・・表現の自由は保障する  2、前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害する事を目的とした活動を行い並びにそれを目的として結社をすることは認められない
「表現の自由」はさすがに外さないだろうと思って見ていくと、ここでも「公益及び公の秩序」という表現がでてきました。社会秩序を乱すような表現をしてはいけないということは、時の権力がおかしいことや間違った事をしていても国民は批判をしてはいけないということにもなります。今でさえ、デモの規制が強まってきていたり、反原発を掲げた人たちが経産省前にささやかにひろげたテントを強制排除することなどが行われてきているのです。このような憲法が成立してしまったら、「さよなら原発集会」や「朝鮮学校無償化排除反対」などの集会はできなくなってしまいます。

第24条 ・・・・・家族はお互いに助け合わなければならない
なぜ、政府にこんな事を言われなければならないのでしょう。現行の憲法では三大義務として「教育」「納税」「勤労」をあげていますが、これも義務規定に加えようというのでしょうか。そもそも憲法は時の権力が暴走しないために作られるものであり。これを書くこと自体が間違っています。そして、この条文の中に透けて見えるのは「国民の皆さん。なんでもかんでも政府に頼っているのはおかしいですよ。まずは、自分のことは自分でどうにかしなさい。生活保護をみてごらんなさい。ほら不正に受給している人が横行しているでしょう。昔はこんな制度なくてもみな立派に家族どおし助け合ってやっていたじゃないですか」 ようやく現行憲法によって社会保障制度が整ってきたのに、これでは逆戻りです。今いわれている「子どもの貧困」問題も、家族で助け合って解決しなさい。そういうことでしょうか。

第28条 2、公務員は全体の奉仕者であることに鑑み法律の定めることにより、前項に規定する権利の全部又は一部を制限することができる
私達が求め続け、昨年ようやく手の届くところまできていた「労働基本権」についてはこんな形でかかれています。つまり、公務員の労働三権は憲法上の権利として一切持てないということになります。そして、公務員にないならば、民間労働者だってなくてもいいかも、という流れになってしまう危険性すら考えられます。
他にも第15条では、外国人の地方参政権の禁止をはっきりうたっています。戦後68年かけて、少しずつグローバル化が進展してきた日本社会がまさに大きく変革されようとしています。

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