憲法の学び方を考える 池田賢市 (中央大学)
最後の条文 憲法99条から読んでみよう
学校での憲法学習の記憶をたどると、前文、9条、法の下の平等などを経て、勤労の権利と義務、納税の義務まで来て一段落(つまり30条まで)。その後、国会等の統治の項目に入っていく(つまり41条から)、といったものではなかったか。
ここで抜けているのは31条から40条までの部分。さて、ここには何が書いてあるのか。その重要性を指摘する前に、どの条文から憲法を学びはじめればよいかを考えたい。
まず99条からはじめてはどうか。100~103条が経過規定等であるから、99条は、実質的には憲法の最後の条文と言ってよい。そこには、この憲法を守るのは誰かが書かれている。この部分の理解がないと、憲法とは国民が生活上守るべきルールであるという誤解へとつながってしまう。
99条=天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
つまり、権力を行使しうる人々に対して憲法尊重擁護義務を課しているわけである。憲法とは、国家権力に対して歯止めをかけるために国民が権力側に宛てて書いたものなのである。その原型が1215年のマグナカルタであった。
権力の歯止めとして
さて、このような「立憲主義」の考え方の具体が31~40条に書かれているのである。31条には、法的手続きによらなければ生命もしくは自由を奪われないことが規定され、以下、32条=裁判を受ける権利、33条=令状によらなければ逮捕されないこと、34条=抑留・拘留の要件、35条=住居の不可侵、36条=拷問等の禁止、37条=弁護士の依頼等の刑事被告人の権利、38条=自己に不利な証拠が自白しかないときは有罪とされない等、自白の証拠能力について、39条=一事不再理等、そして40条には、抑留後に無罪となったときの国への補償要求の権利について書かれている。
要するに、このように細かく刑事訴訟に関することを書いておかないと、権力は、不当に逮捕し、自由を奪い、公正な裁判も経ずして、自白の強要によって人々の権利を奪いかねない、ということである。戦前の警察等の動き、また戦後においても発生している冤罪事件を考えるとき、これらの規定が、権力への歯止め規定としての憲法に書かれていることの意味・正当性がよく理解できよう。
このように99条からはじめて31~40条の具体的な歯止め規定を読んでから9条に移行していけば、もっとも危険な権力行使としての戦争を放棄せよと、誰が誰に言っているかがよくわかる。そして、憲法の前文を読む。そうすれば、1条からゆっくりと、一市民としての自覚の上に立って、意味を深く理解しながら読んでいけるはずである。
さて、ここで注意を要するのは、このような憲法が存在しているからといって、自動的に人々の自由や権利が守られるわけではないという点である。その実効性は、憲法の理念を守り抜こうとする民意の力、自由を求める民意によっているのである。