お知らせ:

2019年10月4日(金)

2019年度  東京教組教育研究集会  基調報告(案)

2019 教研集会チラシ

2019年度  東京教組教育研究集会  基調報告(案)

         「教え子を再び戦場に送るな」

誰もが尊重され認められる社会を実現するために、子どもの人権を保障し、ゆたかな学びを構築するカリキュラムづくりをすすめよう

1.   はじめに

今年、8月31日に行われた憲法学習会で、東京大学の本田由紀さんは、「社会変容と格差・貧困-脅かされる生存権-」というテーマで講演されました。その中で「高度経済成長」時の政府、企業、家族、教育の循環モデルが一定の経済成長をもたらしたがこの循環モデルが学ぶことや働くことの意味を空洞化させていくという負の側面を多く持っていた事を指摘しました。そして、バブルが弾け、この循環モデルは破綻し、賃金や労働時間などの条件が悪化、離学後に低賃金で不安定な仕事に就職せざるを得ない層を拡大させ、結果的に家族を作ることができなくなり少子化は歯止めがかからなくなります。日本社会はもうこの循環モデルでは回らない状況になってしまいました。

しかし、 政府は「生きて行きたければ自分で生きていけ」という姿勢でセーフティーネットを整備せず困窮する人たちは「お上のお世話になってはいけない。貧しいのは自分の能力が足りないからだ」と考えてしまいます。だから、生活保護の利用率や捕捉率は他の国と比べるととても低くなっています。

日本人一人ひとりは極めて真面目に学び、「高学力」を身につけているのにそのことが経済の活力や社会の平等化に全く繋がっておらず、他国に比べて長時間労働、パートタイム雇用が多く、貧困率が高いというなんとも不可思議で納得できない状況となっています。

その「高い学力」を維持するという名目で悉皆の「全国学力テスト」は維持され、学校教育そのものの価値が「学力テスト」で測られる「学力」を育てることに矮小化され、ここから零れ落ちる子どもたちは切り捨てられています。

そして、改悪教育基本法を実現させる内容である指導要領の改定の下、教育は「資質」や「態度」を身につけさせることが強調されています。「Soceity5.0時代に対応した人材育成機関」として小学校からの外国語教育という名の英語教育、論理的思考を伸ばすという名目で行われるプログラミング教育などにより、経済発展のためにさらに「能力」を高めることが子どもたちに求められています。そのような中で子どもたちは学ぶ意味や楽しさを感じることができず自己肯定感をもつことができない状況になっています。

このように、まさに逼塞の状況にある日本の社会ですが、どうやって現状を乗り越えて行ったら良いのでしょうか。

2、「新学習指導要領」の本格実施に向けて

「新学習指導要領」は小学校において来年度、中学校では再来年度に本格実施されます。すでに実施されている「特別な教科 道徳」は「考え」「議論させる」ものだとされながらも、教科書の全文を読ませて指導するような形をとれば、教材のもつ「道徳的な価値」を教え込むことにならざるを得ません。

今年度、小学校では道徳の教科書の検定も行われ、前回の検定教科書よりは問題のある内容の教材が減ったものの各単元の学習を自己評価させ、それを学習の足跡として残していくような形の教科書が増えています。

「特別な教科 道徳」の指導の在り方については多様な意見を安心して発信できる場で異なる価値観を認め合いながら多面的・多角的に考えられるような「中断読み」の指導法などが提案されています。更に価値を教え込まず平和や人権などの価値を大切にできるような実践を創っていくことが大切です。

また、「特別な教科 道徳」の評価については、評価すること自体に大きな問題があるという認識を大切にし、極力評価する機会を減らし、道徳的な価値についての子どもの認識を評価するような形にしないよう工夫し、形骸化していかなければなりません。

小学校の「外国語科」については、新たに「読む」「書く」が加えられ、700語程度の語句の読み書きが指導されることになります。しかし、これらの語句を覚えさせなければならないのではなく、慣れ親しむことから指導すべきです。外国語で他者とコミュニケーションを行うには、その背景にある文化を理解するなどして、相手を十分配慮・尊重し、多文化共生につながる異文化理解を進めていくことが必要です。

プログラミング教育の研修会に行くととても多くの企業がかかわっていることがわかります。AIやICTなどの先端技術にかかわることができるエンジニアの養成と学校教育への参画によってマーケットを広げようとする企業の思惑が見えてきます。

プログラミング教育はわからなさと真新しさゆえに、企業の勧めるがままに行ってしまう可能性が多くありますが、その目的はあくまで「論理的思考能力を育てる」ところにあるのですから、様々な教科の学習の中で実現可能なはずです。

子どもに対して、正解のみを考えることを求めるのではなく、多様な考えとそこに至った思考の過程を大切にするような学びの在り方が必要であると思います。

そして、最も大切なことは「学習指導要領」はそこに書かれている一言一句を守らなければならないようなものではなく大綱的なものだということです。私たちは子どもたち一人ひとりの最善の利益を保証するためにはどのような教育が必要なのか考えていかなければなりません。汎用性のある学びや、学ぶことの意味や喜びを感じられるような授業をどのように作るべきなのかなど、子どものために教育はどのようにあるべきなのか考え、実践を続けていくことが大切なのだと思います。

3、「子どもの権利条約」に根ざした教育を

 2019年は子どもの権利条約を日本が批准して25年目の節目の年となります。日本は批准以降4回に渡る子どもの権利委員会による定期報告書審査を受けてきました。2019年1月に行われた4回目の審査における総括所見においては、日本における子どもの権利条約実現の状況について不十分であるとして様々な勧告が行われました。民族的マイノリティ(アイヌを含む)、被差別部落出身の子ども、外国につながる子ども、「障害」のある子どもに加え、今回は性的マイノリティの子どもへの差別を減少、かつ防止させる人権教育の啓発の強化が勧告されました。つまり、朝鮮学校の「高校等就学支援金」制度からの除外と補助金の凍結・縮減を行ったり、「性教育」の内容を著しく制限し無意味なものにしていたりする日本の教育の在り方は問題であるとされているわけです。

また、「子どもの意見の尊重」分野では子どもが意見を表明する権利を保障し、意見が正当に重視されることが促され、学校等で全ての子どもがエンパワーされ参加することを積極的に促進することが勧告されました。9月に行われた「子どもの人権連」学習会で鹿児島の高校の教員から子どもの権利条約を生かした学校づくりを行うために「生徒たちが不合理と感じている校則や教員の言動について生徒会で問題にする」という実践を報告されました。生徒たちは夏は蒸れて冬は寒いという校則で定められた靴下の問題や教員の理不尽な暴言について意見を述べました。しかし、それらはすべて教員たちにつぶされてしまったそうです。小学校の低学年から厳しく指導される「授業規律」「ブラック」と言われる校則などそれがいったい誰のために作られているものなのか、私たちはきちんと振り返って考える必要があります。

さらに、学校教育において過度に競争的システムを含むストレスの多い学校環境から子どもたちを解放するための措置を強化するよう、再び勧告されました。悉皆の全国学力・学習状況調査による「学力向上」にむけた競争的学校教育環境のストレスがいじめの背景となっていることを青森市いじめ防止対策審議会は報告書において指摘しています。

全国学力テストに関する日教組の調査によると、活用問題の正答率を上げることが校内研究のゴールとなってしまい、朝学習、授業、宿題の全てに学テの影響が及んでいる職場や、前日に問題を開封し当日朝にその問題練習を行い本番に臨むなどという教育現場とは思えないような対応をしているところもあったそうです。

子どもの全体数が減少している中、通常の学級に在籍する「障害」のある子どもの数はほぼ変わっていませんが、通級による指導は増加を続け、特別支援学級や特別支援学校に在籍する子どもの数は過去最高を更新しています。子どもの権利委員会の総括所見で、委員からは「統合された学級におけるインクルーシブ教育を発展させかつ実施する」ことなど、ともに学ぶ環境を整備することが強調されています。

このように日本の教育現場で子どもの権利条約は機能していない面がとても多くあるのです。私たちは「点数学力」による差別と競争の教育から、お互いを尊重し共に学び高めあえる教育へ転換を求めていかなければなりません。

4.そして私たちが考えとりくむべきものは何か

今年の関東ブロックカリキュラム編成講座の人権教育分科会の話し合いの中で「『みんなちがって、みんないい』という言葉が大切にされている今、つまりその価値が実現していないってことだよね。これが、当たり前になっていたらこの言葉は言われなくなるよ」という発言がありました。

今から30年ほど前、先輩教員には「クラスで一番しんどい子に寄り添って授業を考えろ」と教えられ、初めて小学校1年生の担任になってわけのわからなさを嘆いていると「まあ、生まれて6年しかたっていないんだからしょうがないじゃないか」と言われたものです。つまり、おおらかに子どもを見守ることの大切さと、目先の結果にとらわれ早急に結論を出そうとすることの問題とを教えられたのです。しかし、現在「授業規律」や「〇〇スタンダード」などで、持ち物一つひとつや返事の仕方、姿勢、家庭学習の仕方、ノートの書き方、などなどが細かく決められそこから外れる子どもは「特別な支援」が必要な子とされてしまいます。

また、その昔、学習指導要領は批判すべきものであって、校内研究会などで学習指導要領を実践の根拠にしたりすれば批判されたものでした。しかし、今は指導要領はバイブルのように扱われ、一言一句違わないよう研究授業は作られているように見えます。

政治の世界には忖度が横行し、学校現場でも新たな提案をする場合などは「校長はこう言うだろう」と忖度して提案が行われ、道徳の授業の後、子どもたちは教員の考えを忖度して学習のまとめを書きます。先に述べた憲法学習会の中で本田由紀さんは「憎悪と侮蔑に満ちた社会から誰もが尊重される社会に変えていこう」と話されました。そのために学校教育でできることは何なのだろう、何を大切にしていくべきなのだろうとずっと考えてきました。

はじめの一歩は、「みんな同じ」からの脱却だろうと思います。社会も、学校現場も年々、同調圧力が高まることで息苦しくなっていると思いませんか。まずは、ここから脱却し、「みんなちがって、みんないい」が当たり前になる社会モデルとそれを実現する教育の在り方を考えていこうではありませんか。今回、そんな思いで、森達也さんを講師としてお迎えし、「同調圧力に抗するために」という演題で講演をしていただくことになりました。

マスコミが軽々しくに韓国バッシングを繰り返し、こうした状況の問題点を指摘する人が叩かれるような社会状況や「社会にとって有益な存在」となることだけが価値として大切にされるような学校教育の在り方を私たちは変えていかなければなりません。みんなが幸福に生きていくことができるという憲法の理念を実現した社会を創るために私たち教職員はどのような教育の未来を考え、実践を作り上げていけば良いのか教研集会を通してともに考え、実践していきましょう。

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