「教え子を再び戦場に送るな」
日本国憲法を軽視する動きに対峙し,子どものゆたかな学びを保障するカリキュラムづくりをすすめよう
はじめに
「戦争法案絶対反対!」「戦争する国絶対反対!」「安倍政権は今すぐ退陣!」その手には様々な手作りのプラカードが掲げられています。2015年8月30日、「戦争させない・九条壊すな!総がかり行動実行委員会」のよびかけで国会周辺に集まった人はなんと12万人。時おり雨が降る天候の中、正午過ぎから集まり始めた人々は時間とともに車道にあふれ出す事態となりました。赤ちゃんを抱いた人、様々な年代の人々、そして多くの若者達。60年安保反対闘争の時も国会は埋めつくされそれは歴史の教科書の1ページにも掲載されています。あれから55年の時を経て,平和への危機感を持った人々は、きっぱりと自分の意思を表現しようと集まりました。戦後70年、民主主義は確実に根付きつつあるのだということを確信しました。行動はこれからです。
「安倍戦後70年談話」からみえてくるもの
2015年8月14日、敗戦70周年を迎えるにあたって安倍政権は内閣総理大臣談話を閣議決定し発表しました。以前から談話を発表すると公表していたこともあり、前回の村山談話で言及されたキーワードが使用されるかどうかに関心が集まってしまい、発表された談話には「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「心からのおわび」などの言葉は盛り込まれました。しかし文章の主語がぼかされ、首相としての明確な謝罪の意思は一切表明されてはいません。また、談話の前半は安倍首相独特の歴史観に貫かれています。西洋による植民地支配の波がアジアにも押し寄せたということ。その危機感からアジアで最初の立憲政治を打ちたて独立を守り抜いたこと。日露戦争の勝利がアジアの人々を勇気づけた。との認識は歴史修正主義にもとづく教科書と全く同じです。第一次世界大戦に関しても、日本は確実に植民地支配に乗り出していきましたが、その事実には触れていません。また「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」としていますが、それを決定するのは被害を受けた国々の人々です。さらに、私達も含め直接戦争には関わっていなくても過去に誠実に向き合い、その中で私達が被害を与えた国に何をなすべきかを常に考え続けていく事が重要ではないでしょうか。だからこそ私達は、先の大戦で多くの教え子を戦場に送り、戦争に協力した事に対する痛切な悔恨から日教組大会で採択した「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンにもとづき行動し続けなければなりません。
安倍政権による、国家主義にもとづく「教育再生」政策
今年は中学校教科書の4年に一度の採択にあたる年でした。東京都では2011年武蔵村山市と大田区で歴史修正主義にもとづく育鵬社版教科書が採択されてしまいました。そのなか大田区では粘り強い地域住民を巻き込んだとりくみが功を奏して、育鵬社版教科書の採択撤回に成功しました。しかし、武蔵村山市では教育委員全員が育鵬社版を支持し、東京都でも都立学校では育鵬社版が採択されています。そして全国に目を移すと育鵬社版を新しく採択した地域が増えてしまい、確実に安倍政権のめざす「戦争のできる国づくり」に向かっての教育の分野での下地づくりが進んでいるといえます。 また、安倍政権は、社会や子ども、教育を取り巻く様々な課題を、教育行政や学校、教職員の課題にすり替え、市場原理、国家主義にもとづく教育改革をすすめ、現場への教育統制を強化しています。現在学習指導要領改訂にむけ中教審が検討を進めています。「コンピテンシー」や「アクティブラーニング」が改訂の方向性として示されています。しかし、大綱的基準としての指導要領に評価や学習方法まで盛り込むことは、カリキュラムの編成権の侵害であり、私たちは容認する事はできません。そして、先行して改訂・実施された「特別の教科・道徳」では教科化にともない、検定教科書が使用され、評価が何らかの形でされることになります。5段階評価ではなく記述式評価になっても、成績をつけるということに、変わりはありません。子ども一人ひとりが指導要領に示された徳目を守ったかどうか、日ごろの行動にそれがあらわれているかどうか文章によって評価され「道徳」の成績が示されることになります。子ども一人ひとりの生き方や価値観はもともと多様なのが当然です。子どもたちは様々な経験を積む中で生き方や価値観を自主的主体的に築き磨き上げていくのです。私たちは決して子どもの心の中へのこのような権力の介入を許してはなりません。そして、英語教育の高度化・早期化もすすめられており、子どもの学びの実態から大幅に遊離しているといわざるを得ません。また、文科省は6月に「生徒の英語力向上推進プラン」を発表し中学校での全国的な学力調査を2019年度から実施する方針を示しました。学校現場の多忙化がすすむなか調査を拡大していくことは、さらに忙しくなるばかりでなく子どもたちを追い詰める結果になる事は目に見えています。断じて実施を容認する事はできません。 だからこそ私したちは教育の場に立つものとして,教育実践・研究に今以上に力をいれなければなりません。子どもの視点にたった子どもが主体となる教育実践・研究を続けることこそが「教育改革」に対峙する大きな力となります。
「子どもの権利条約」に根ざした教育を
子どもの権利条約は昨年批准20周年を迎えました。しかし、世界全体に新自由主義が蔓延し、学校を標的とするテロが多発するなど子どもや教育を取り巻く状況は依然として厳しいままです。日本でも6月に公表された子育て世帯全国調査では、ひとり親世帯の27.3%は暮らし向きが「大変苦しい」と回答しています。さらに同調査によるとひとり親家庭の貧困率は54.2%で、前回調査(2012年)の38.4%より大幅に増加しています。7月に発表された国民生活基礎調査でも62.4%の世帯が「生活が苦しい」と回答するなど、「子どもの貧困対策推進法」が施行され1年半が経過しているが有効な対策が行われないまま、格差のみが拡大している事実がわかります。給付型奨学金の支給など「子どもの貧困対策法」を実効あるものにしていくために、子どもの権利条約、国際人権規約の具現化を早急に進めていかなければなりません。また、いじめ、虐待、不登校の件数は依然として高い数値を示しています。過度の競争的な環境が子どもを追い詰め、いじめや不登校につながっていると「子どもの権利委員会」から指摘されているにもかかわらず、全国学力調査や各種の学力テストの結果公表などの競争主義が学校に持ち込まれているのが実情です。そしてそのいじめの対策としての「道徳の教科化」は、決して子どもの気持ちに寄り添った対策にはなりえません。子どものおかれている状況を子どもの人権の視点から捉えなおしていくことが必要です。子ども達にとっての「ゆたかな学び」は、多くの人々ともに生き、未来に向かって歩むために必要なものです。この学びにより身につける学力は、憲法の理念の実現につながり、平和・人権・環境・共生を尊重する社会を主体的に築いていく力となるものです。この力は「子どもの権利条約」のもとで学校現場を含む教育の場でおとなによって保障されることが大切です。今こそ私たちは子ども達の「ゆたかな学び」の必要性を地域・保護者に訴えていきましょう。
今こそ日本国憲法の精神にもとづいた教育を
今年の教研集会では政治学者の山口二郎さんに、戦後民主主義の危機といわれるこの状況の中、私たちは何をどう考え行動していけばよいかを提起していただきます。「安全保障法案」は採決されても、私たちには「日本国憲法」があります。決して民主主義をあきらめず、今私達ができうることをやり続けていかなければなりません。学生団体「SEALDs(Students Emergency Action for Liberal Democracy – s)」(「自由で民主的な日本を守るための、学生による緊急アクション」)の若者達の戦後70年宣言文に次の言葉がありました。
私たちは尊い命を軽んじる態度を、歴史から学ぼうとしない不誠実な姿勢を、目先の利益にとらわれる偏狭な考えを、立憲主義や民主主義の軽視を、権力による情報統制を「積極的平和主義」という偽りの平和を、決して認めません。私たちは二度と同じ過ちを繰り返さないために、自由と民主主義を守っていきます。
なんと、力強い未来を託すに値する頼もしい宣言ではありませんか。 今、日本社会に求められているのは「個人の尊厳」を追求する憲法理念の実現であり、未来を担う子ども達の尊厳を守ることです。 そして、私たちが今まで積み重ねてきた「平和」「人権」「環境」「ジエンダー平等」などの実践を貴重な教育財産として次世代に引き継いでいかなければなりません。実践の交流を通して仲間のつながりを改めて確認し、職場から支部へ、支部から東京全体へと連帯の輪を広げていきましょう。